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2/2 日帰り東京散歩 3 神田明神 [歩く]

日帰り東京散歩 2 湯島から続きます。

霊雲寺を出てから神田明神へ向かいます。

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三組坂上です。
元和2年(1616年)徳川家康の死去にもとない、家康お附きの中間、小人、駕籠方の「三組の者」に、当時駿河町といわれていたこの地一帯を与えました。
その後、元禄9年(1696年)三組の御家人拝領の地である由来を大切にして、町名を三組町と改めました。
この町内の坂ということで「三組坂(みくみさか)」と名づけられました。

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清水坂下です。
江戸時代、ここに霊山寺が在り、その敷地は妻恋坂から神田明神にかかる広大なものでありましたが、明暦3年(1657)江戸の町の大半を焼きつくす大火がおこり、この名刹も焼失し浅草へ移転しました。

その後、明治になってその敷地は清水精機会社の所有となりました。
大正時代に入って、湯島天神とお茶の水の間の往き来が不便であったため、清水精機会社が一部土地を町に提供し、坂道を整備しました。
そこで、町の人が清水家の徳を讃え、ここを「清水坂」と名付け、坂下に清水坂の石柱を建てました。 

新妻恋坂から神田明神に上がります(裏側)。

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銭形平次の碑です。

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野村 胡堂の小説で有名になりましたが、昭和45年12月有志の作家と出版社が発起人となり、縁の明神下を見下ろすこの場所に建立されました。

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神田明神です。

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大黒様の前に茅の輪が設置されています。
神田明神の慣例で冬は12月31日に大祓の神事をして、立春までここに設置します。

                                    続きます。


タグ:神田明神
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runa-simada

日帰り散歩・・・いいコースですね~!!
しかもnmzkさんの分かりやすく楽しい説明に
古きよき時代を想像し、うっとりです~~♪

人の一生は短いので、
特に知らなかったいにしえを思うと
凄く得をした気になります
by runa-simada (2010-02-06 20:17) 

nmzk

> runa-simadaさん
この辺りはまだ江戸時代から受け継いだ建物、文化が遺っているので歩いて楽しい場所です(^O^)/
神社仏閣が江戸城から見て北東(艮)の方角で鬼門封じの役割をしているのも面白いです。

by nmzk (2010-02-06 21:38) 

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