「空海と密教美術」展 東京国立博物館 平成館 [歩く]
遅くなりましたが、7月21日の日帰り東京旅行のレポートです
今回の目的は「空海と密教美術」展鑑賞です
延暦23年(804)31歳の留学僧が密教を求めて唐に渡り、留学期間20年の予定を僅か2年という短期間で、しかも恵果によって統合された金剛頂経・大日経の両系統の密教を異例の速さで伝法されるという空海の謎多き足跡を鑑賞します
国宝 聾瞽指帰(ろうこしいき) 空海筆
平安時代・8~9世紀 和歌山・金剛峯寺蔵 [展示期間:上巻
空海が延暦16年(797)に著述した『三教指帰(さんごうしいき)』の自筆草稿本と考えられます。使われた書体は行書が主で処々に草書が記されています。文中には文字の入れ替えを示す顛倒符・脱字の加筆などがあり、草稿であることを裏付けています。青年時代の空海の書法、文才、仏教に対する思いを現代に伝えてくれます。内容は儒教・仏教・道教の教えを擬人化した3人の人物が登場し、教えをめぐって対決させ、最終的には仏教が他を説き伏せるという物語で仏教の優位を説いたものです。
今回の主な目的はこれを観ることに有りました。飯島太千雄氏の若き空海の実像に依りますとこの書は王羲之、李邕の書法を身に付け、行書・草書だけでない破体・雑体書法をも見出すことが出来るとしています。
飯島太千雄氏は空海が聾瞽指帰を伊予親王に献上したことで入唐への道が開け、帰国後は伊予親王から嵯峨天皇のもとに移った聾瞽指帰が太宰府に留め置かれた空海を入京させることになったと推測しています。
東寺講堂の諸像8体による仏像曼荼羅(イメージ)
仏像の立体曼荼羅を間近に拝見することが出来ます。 ←これは素晴らしい体験でした
国宝 「灌頂歴名(かんじょうれきめい)」 空海筆
平安時代・弘仁3年(812) 京都・神護寺蔵
最澄、泰範の名前が記載されています。
国宝 「風信帖」 空海筆
平安時代・9世紀 京都・東寺蔵
空海が最澄にあてた3通の自筆の手紙を継いだもの。
国宝 御請来目録 空海撰・最澄筆もとても興味深いです。
その他、とても内容の濃い展示です。
東京国立博物館 平成館から見える東京スカイツリーです
日帰り東京旅行のレポートはこれでお終いです。どうもお付き合い有り難うございます
さすが、空海の筆は見事ですね~。
空海が最澄にあてた手紙の内容は何だったのでしょうか。
泰範を返す、返さないのやりとりとか、
理趣経の本を貸さないよ~。とか…。(^_^;;
(空海は最澄にちょっと意地悪だったと思うのは私だけ?
by ふくふく (2011-07-28 12:56)
私は展示入替をみて行こうかと、ちょっとのんびり考えています。 「平成館長蛇になごむスカイツリー」
by おやじファンクラブ (2011-07-28 16:04)
東京スカイツリーはまだ生で見てません、、、
東京へ行くより韓国へ行ってしまうワタシ。
by ときこく (2011-07-28 18:29)
今晩は。
これは是非見てみたいです。
by 夏炉冬扇 (2011-07-28 21:35)
> ふくふくさん
尺牘(せきとく)三通と呼ばれているもので、1通目の書き出しが「風信雲書」で始まるところから「風信帖」と呼ばれています。
この時期は先輩 最澄に対する尊敬の様子がよく表れています。
本来オープンに出来ない密教の内容を、最澄自身が空海の下で実践修行をせずに弟子を派遣したりや経典を借りることで済まそうとすることにも問題が有るような気がします。
双方とも新しい宗派を立ち上げるために忙しく、二人でゆっくり語り合う時間も取れないまま意識のズレが拡大したのではなどと想像します(^_^;)
by nmzk (2011-07-28 22:09)
> おやじファンクラブさん
これは中々素晴らしいもので、私もまた見学したいと思います(もう少し下調べをしてから)。
by nmzk (2011-07-28 22:12)
> ときこくさん
東京スカイツリーは私も遠くから観るだけです(^_^;)
韓国にも行きたいのですが、日帰りという訳にはいきませんね(-。-;)
by nmzk (2011-07-28 22:16)
> 夏炉冬扇さん
こんばんは(^O^)/
とても充実した展示で、私に書、仏像、仏教、歴史などの素養がないことを悔やんでおります(-。-;)←猫に小判?
by nmzk (2011-07-28 22:23)
当時の中国でも既に使われなくなっていた古い書体を、空海は自分流にビジュアライズして、グラフィック・デザインみたいな使い方をしてたみたいですね。その感性は凄いです。
by Django (2011-08-11 18:19)
> Djangoさん
空海の文鏡秘府論(ぶんきょうひふろん)の序に「私は幼いころから母方の叔父について、いささか文章を学び・・・(現代文にしました)」と有り、彼が叔父の阿刀宿禰大足から学び、更に朝野魚養によって様々な書法を教わったと思われます。
『続日本後紀』承和二年三月二十五日条に、空海は十五歳のとき讃岐国から上京し、大足のもとで学んだと有りますが、書法の習いからすれば手の固まらない5~6歳と思われます。
http://nmzk.blog.so-net.ne.jp/2010-06-03
by nmzk (2011-08-11 21:10)